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16) 暗い肖像画

突然、琳の携帯が鳴った。僕達はお互いの顔をジッと見つめあったまま動かなかった。(大体、僕の携帯じゃないんだから僕が取ることはないんだけどなぁ)二人とも、ピクリとも動かず、互いに見つめあったが、琳がニヤリと笑った。
「最初はグー、ジャンケン、ホイ!」
何のことははない、見事に僕の負け。
笑いながら琳は僕の事を指を差しながら「なんでぇ〜そうなるんだぁ〜グ〜っていったら、グ〜だしたぞぉ〜」と、いいつつ大いに受けていた。
(別に、受けをねらった訳ではないんだけど、グ〜っていったら、グ〜だすよなぁ?普通はさぁ〜、違うの?)僕はブツブツと独言を言いながら、彼の携帯を取りに行った。

「……はい、藤む…あぁ、久しぶりだね。……えっ? あぁ、ごめん、ごめん! ちょっとね……何? …だったら、替わるよ、いるから…えっ?  あぁ、いいけど…ちょっと待って!」      
「琳、植田だけど、バイオハザードのゲームソフト、来週でもいいかって聞いてるけど」          
「あぁ、いいよ」
「…いいってさ、……えっ? なんで?まさか、そんなことしないよ。……あぁ、わかったよ、大丈夫だよ、……君も、しつこいなぁ、わかった、わかったよ。ちゃんと言うよ。はい……じゃぁ」      
僕は、植田の口調を思いだし、琳に植田の喋った内容を話した。 
「……相当、びびってたよ。早く渡さなければいけなかったけど、忘れてはいなかったって強調してたなぁ」
「あの野郎! 俺に替わると、どなられるもんでお前が出たのをこれ幸いと話したんだろ…貸す、貸すって言って、いったいいつの話なんだよ?! …学校で会ったら、おもいっきり、虐めてやる!」
琳の鼻息は相当荒く、植田の将来が危うい感じがした。

 「美術部でも何か展示するんだろ?」
「うん、いままでの作品とかと交ぜて展示しようと思ってるんだけど…新作も一人一点は展示できるようにしたいと計画はしているんだけどね」
僕は描きかけ静物画を眺めながら言った。
「……人物は描かないのか?」       
不意に真面目な調子で琳が言った。
「モデルがね…部費は画材とか雑多なものに消えてしまうんだ。モデル代まで回らないんだよ。石膏の胸像で揃えたいものもあるし、年2回ぐらいが限度だな。出来れば、もっとしたいと思ってはいるんだけど …」

僕は理由もなく絵の具をグチャグチャとかき混ぜパレットの上で弄んでいた。
「部員でも誰でも、モデルにすりゃぁいいじゃんか。……お前なら適任じゃない?」
「はぁ? 僕? 何言ってんだよ? そもそも、部員のモデル役ってのは交代でやってるよ」
「じゃぁなんで金出してまでモデル呼ぶの? お前は、研究所に行ってモデル描いてんだろ?」 

「僕はね。でも、他の部員達は描いてないと思う。モデルを描く方が勉強になるよ。それに、学校で呼べるモデルはコスチュームの女性だけだからね、描けないよりはいいって感じかな? 本当はヌードの、それも男性の方が勉強にはなるんだけど。……お金がねぇ」

「へぇ〜、ヌードの男性ねぇ。……コスチュームの女性って安いの?」
琳は珍しく興味の湧いたように色々と質問をしてきた。
「あぁ、モデルクラブにもよるけど、20分ワンポーズ、十分休憩有りの3パターンの二日間で、一万五千円位だからかな。ヌードになると、もうちょっと高くなる。……女性のヌードクロッキーなんかしたら学校で問題になるよ、教室に入り切れない人でいっぱいになるから…」
「……と、言う事はだ、生指の磐田がうるさいって事か?」
「まぁね、ヌード自体、やったことがないんでどうなるかわからないけど……もめる事は目に見えてる」
「それに、モデルを呼んで描ける事自体、ありがたい事かも知れないし…」
琳は訝しる様な顔つきで呟いた。
「……有りがたい?」
「あぁ、僕達の学校は芸術って名前のつくものには理解が有るように見えるけど、一応進学校だよ? 進学校が何もクラブ活動にそこまで力を入れないよ。部員の中にもそこまで考えてる奴は少なくははいよ 」
「芸大ってもんがあんだろ?」
「90パーセントの生徒がそのまま、エスカレーターで大学に行く学校事情で、特別の事情がない限り別の学校を受けようとはしないだろう。ほとんどの生徒がどこぞの先生と名のつく深窓のご子息ばかりの連中の行き先ではないよ。…画家の息子だから画家になるとは限らないし、ね」

 僕達の通う学校は小、中、高と大学を合わせもつ古い学校であり、ほとんどの高校生はエスカレーター式にそのまま大学へ進学するので、生徒の顔にあまり変化は見られない。
中には語学留学で海外に行く奴もいる。企業のトップ達の息子も多々いるので、学校内は次世代の社交場と化した感があるのだ。ふと、琳を覗き見ると僕の言い回しが悪かったのか、さきほどの明るい表情がなくなり何か考えているように見えた。

「……そうかもしれないな……」
琳はそう呟くと、何時の間にか僕の背後に回り所々下地の塗り残しのあるキャンパスを眺めていた。彼にあたるつもりなんて毛頭なかった自分が、僻み根性が現れたさっきの言葉に、自身が戸惑いながらも、なんとか彼に弁解せねばと考えを巡らした。しかし、先に喋り出したのは琳の方だった。

「今さ、研究所で絵を描いているだろう? 今も、モデル描いているのか?」
「えっ? あぁ、別にモデルだけって事はないけど、僕は素描の他に解剖図なんかもやってるし…色々かな」
「……モデル、俺、やってやろうか?」
僕はあまりに突然の出来事で、びっくりしすぎて言葉がでなかった。そんな僕の表情を見て、彼はムッとした不快な表情になり、語気を荒めて言った。
「なんだよ! ……俺じゃ、役不足ってことか? ……毎日ジョギングしてるし、ラッケットボールだってしてるから、身体は鈍ってない」
僕は彼の言葉を遮る様にして言った。
「違う、違う。そんな身体がムキムキとか、ピチピチとかが問題じゃなくてぇ…」
「…じゃぁなんだよ?えらく不満そうだな?」
「不満じゃなくて……研究所でモデルするの? それとも、がっ……」
「馬鹿か、お前は?! なんで、俺が研究所で裸になって作り笑いしながら、ポーズとんなきゃなんねぇんだよ?!」
琳は急に怒り出し、僕の事を馬鹿呼ばわりしたことに腹を立ててしまった。

「あぁ〜ど〜うせ、僕は馬鹿ですよ! 因に、馬鹿な僕から一言言わせてもらえるなら、モデルはポーズしてる時に笑わないよ。モデルがニッって笑ったりしてたら、気持ち悪いよ!」
「悪かったな! モデルの事は何〜にも知らなくて! な〜んにも知らない奴が、モデルをしようとしたのが間違いだったな! 言っとくけどな、何で知らない奴の前で俺がポーズとるんだ?
……俺は……俺は、お、お前の…モデルにぃ……」

琳の声は大きくて怒っているような声だったのに、段々と弱くなり最後には聞き取りにくいぐらいになって、消え入りそうだった。
心臓の奥の方のところに痛みが走った。
僕は彼の言っている意図がわからなかった事が悔しかった。
「……ごめん……」僕は彼の言葉が言い終えないうちに言った。
「ごめん、本当にごめん。……わからなかったんだ、さっきまで研究所の事や学校の事を話していたし、まさか、そんな事を言ってくれるなんて、思ってもみなかったんだ」
「……いい、もういいよ。別にお前が悪いんじゃない。ちゃんと、言わない俺が悪いんだ」
辺りに気まずい雰囲気が流れた。
「……僕の、僕だけのモデルになってくるの? ……僕だけの…」

心臓がバクバクと大きな音を立てて、僕の胸を打ち鳴らし、頭の芯の部分に全ての血液が、集まってくるような感覚に襲われた。
「そうだ、お前だけだ。……他の誰のものでもないんだ、お前だけ……」
しかめっ面をした彼の顔は、いくぶん緊張しているものの、とても冷静に見えた。横にいる彼をモデル、いや、そうじゃなくても彼自身を束縛したいと思っている人が、沢山いるのを僕は知っている。クラブの連中だって、彼をモデルに出来たらと内心思っている奴もいるだろう。ただ、彼にその様な申し出をした奴は、いないようだ。

(彼の拒否が恐いからだろうか?)
彼自身、自分事をどう思っているかはわからないが、学校での彼は一種の聖域だった。彼への思慕に対する学校での行為(手紙をわたしたり、個人的にアプローチすることな)は暗黙の了解で、つまり“触らぬ神に祟りなし”とで言うべきか、してはならぬ事になっている。これは、あくまでも噂の域をでないのだが、彼に親衛隊らしきものが存在すると言われている。

しかし、生憎僕は今だお目にかかったことがない。彼の存在はそういうものだ。但し、世間で認める彼の存在と彼自身が認める彼の存在が、必ずしも一致しているとはかぎらないのだが、彼が世間の存在似合わせようとしている様子は見られない。 

『回りは回りの好きにすればいい』という、投げやりともとれる態度が彼を一層、不思議な存在に見せかけているのだろうか?そんな存在である彼に、モデルをしてもらいたくても僕自身すら、はばかられたのだ。(同じ屋根に寝泊まりをし、小学生の頃から兄弟の様に暮らしてきた僕達だけど…)

「……今から描く? 直ぐ、描くぅ?」
妙に嬉しそうな声で彼が僕の肩にもたれ掛かってきた。
「今直ぐったって……琳も他にや……」
「ない! そんなものない!! どうやる? ……どこに座ろうか?」
琳は素早く僕の目の前に躍り出て、静物が置いてある物の前に立った。
「ポーズってどうするんだ? ほらぁ、よくあるだろう? 出窓のところに座って足組んだりしたり、ちょっと、寂しげな表情してさぁ、首ぃ傾げてみたり……」
「……りぃ〜ん、そんな不自然な事はしなくていいんだよ。普通に、ね! 極々、普通でいいんだよ。……いつもの君でいいんだ」

僕の中で彼に対する構図はもっと以前から思い続けたものがあった。彼を描く機会が与えられたのなら、そうしようと思っていたものがある。
普通に立っている姿、そう、彼の立ってい姿を描いてみたかった。
『普通に立っている姿』なんて言い出したら怒るかもしれないな。
「……どうする?」不思議そうに彼が聞いてきた。
「…いろんな、姿をクロッキーしてみてから、考えるよ。……急がなくていいだろ?」
「それ…出来上がったら、どうする?コンクールとかに出品するのか?」
「いや…そんな事は考えてない。ただ」
「ただ、なに?」
「描きたいと思ったから……人に見せようとか思ってもみない事だし……出来上がったら、貰ってくれるかな?」
僕は自分自身がビックリするような事を、右側にいる琳に喋っていることに気がついた。 

「俺、俺が貰うの?モデルの報酬料としては、安いよな…いらない。
だって、自分の顔なんか貰るったってしかたない。出来上がったら、お前にやるよ」
「えっ? 僕が貰うの?」
「何だよ? 俺の顔じゃ、不足なのかよ。自分の顔なんか貰ったって、見飽きてるから…モデル料くれるんだったら、他のものにしてくれる?」
「そりゃぁ、琳がほしいって言うんなら、何とかするよ。加藤がバイトの空きがあるって言ってたから……」
琳は意外な事を口走った。
「どうして、お前はそうなんだ? ……金、貰ってどうすんだよ」
僕の思考は時々的外れな事を思い、喋ってしまうようだ。
「ごめん、だったら、何にする?」

「……言ったら、絶対くれる?拒否しないと誓いなさい」
琳は裁判の時に誓いをたてる時のように、手を上げ、左手に聖書のかわりに、漢和辞典を差し出し、言った。
「……僕の聖書を貸そうか?」
「余計なことは言わないでよろしい」
僕は彼の手の平に乗った辞典に左手を乗せ、
「……誓います……」と言った。
琳は満足そうに頷くと、僕を見た。
「でも、絶対って言ったら困るな。あげられないものだってあるしなぁ」
そう言って、彼の方を振り替えると、憮然とした表情をして僕を睨み付けていた。
「……わかったよ、あげるよ。だから、口を尖らせて、上目づかいに怒るのを止めてくれないか?」
(ガンたれは得意って知ってるら……)
琳は勝ち誇ったように笑い、自分の意見が通った事に満足していた。しかし、彼は意外なものを欲しがった。
それは、僕の自画像だった。
(なぜ、そんなものを?)

僕自身は、気に入ってはしているが、どう見ても、他人が気に入るようには見えない。
(あんな、暗い感じの絵なんか……)右手を肩より少し上に上げ、彼の目を見つめた。
「……僕の自画像?! 出来は良くないし、なにも僕の絵なんか欲しがらなくても…他にないの?」
その上、余り出来の良いもの(モデルはなんと言っても僕自身なのだし)ではなかったので、彼の欲しがるものではないし、僕はなんだかんだと言い訳を思いつく限り羅列し、彼に『もっと他にないのか』とか、『絵が良いんだったら最近描いた風景はどうだ?』とか、説得を試みた。
しかし、彼は僕の言い訳に耳を貸さず、縦には振らなかった。

「あれが良いんだ。何でもくれるって言ったろ? ……嘘なのか?」
彼は僕の目を見つめながら言った。彼の頑固なところは心得ているつもりだ。
しかし、僕は彼の心意まで読み取る術を知らず、彼が何を求めているかわからない。僕の自画像の意味は、もしかしたらといった一つの事柄への隠された真実なのか?  琳は黙って僕を見つめていた。

彼が欲しがった意味が分からなかった。
随分前になるが、僕は自分自身の絵を描いた。
椅子に座って、足を組んだ状態で正面を見つためているポーズだが、色彩は暗く、僕の顔も青白い色をしたものだ……深読みは止そう。

たとえ、隠された意味があったにしろ、僕はその事柄については、しらをきり通さねばならない。知らずに済めばそれに越したことはないのだ。僕は『僕の描いた絵でなきゃダメ』と言う彼の言葉に対して、僕の自画像以外であればとつ言う譲歩を提案してみた。

「金が欲しいんじゃない。俺がほしいのは……欲しいのは……」
彼の目には涙は浮かんではなかったが、彼が僕に対して怒っているからか、握り締めた両手が小刻みに震えていた。彼の身体は今にも火が点いたように泣き出しそうだった。欲しいものが欲しいと言える事のできる彼の素直さが僕には羨ましかった。

泣き落としに出た彼の行動は、僕を困らせるには十分事足りることであった。(彼は僕が彼の泣き落としに、果てしなく弱いことを熟知しての行動だ)暫く黙って自分の足下を見つめていた僕は、不意に刺す様な視線を感じたので、彼から外していた視線を元にもどした。    
悲しそうな顔をした彼は後ろ向き、奥の部屋に行ったかと思うと、玄関のドアがバタンと閉まる音が僕の耳に届いた。

『どうやら、彼の機嫌を損ねたらしい』頭を抱え込んでしまった僕は、直ぐに立ち上がり、出ていった彼の後を追いかけたが、姿は見えなくなっていた。
「連休は明日で最後だぞ! ……」僕は言葉が続けられなかった。
(あぁ〜ぁ、今回は相当頭にきてるみたいだから、二日で帰ってくりゃもうけもんか? 休み明けに実力テストあるんだけどなぁ、わかってるのかなぁ?)
「りぃ〜ん! 休み明けにテストだぞぉ〜」そう言って誰もいない廊下に叫んでみても、僕の声だけが、虚しく響いているだけであった。

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