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13) 不純同性交際の勧め - 後編 -

「……僕は己自身傷つくことを極端に恐れている。自分自身に正直になることがとても恐いんだ。人のことをとやかく言ってるけど、本当のところ我身可愛さの余り、利己的になってるんだよ……バカだ」
 僕はいつの間にか声を出して笑っていた。
『クックックック……』
暫くの間、笑っていたが時間が経つにつれ、僕は自身の声が笑っているのか泣いているのか判らなくなっていた。   
伊織田は吐き捨てるように言った。
「……彼女と付き合っているのは、お前自身の“罰”だとでも言うのか?」
僕は吸いかけの煙草を持った左手の震えを右手で押さえながら彼に言った。
「……罰?」
「じゃなきゃ、なんだ? 彼女もそれと知ってて付き合ってるなんて、どうかしてるぜェ」
「そうだ、どうかしてる。いや、狂ってるよ」
僕の中で何かが壊れ始めた。
 キッカケは何だったのか?
彼の柔らかい声が僕への引き金だったのか、琳にかかってきた電話が引き金だったのか、今はもう判らない。
始まってしまったことだから。

「……」
伊織田は返事もせず、眉間に皺を寄せて考え込んでいる風だった。
 巧妙に見え隠れするもう一人の自分。
 引き込まれた闇の狭間でつく、卑わいな嘘。 

「……彼女、ベッドの中でいつも言う口癖があるんだ。『愛してるって呼んで』『イクときには名前を呼んで』ってね。もし、言わなかったら、機嫌がすっごく悪いんだ。……っでもって彼女、イク時にね囁くように小声で言うんだ。『私を殺して』ってね、信じられる?  クックック……あの瞬間に言う言葉じゃないよ!」
伊織田は僕の話に不快感を露にし、キツイ調子で言った。
「……いい加減にしろ!言っていい事と悪いことがあることぐらい、判らないことでもないだろ?!」
僕は伊織田の怒鳴り声を無視して話を続けた。
「……僕とセックスしてるって思ってないんだろ、きっと。……誰としてるつもりなんだろねぇ」
「……密、お前の方こそどうなんだ? 彼女は誰の代わりなんだ?」
「……なに、言って」
「……言えよ、お前の口から聞きたい」
「バカな……」僕は明らかに動揺していた。
『彼女は誰の代わり』なのか?
突きつけられた現実に戦いた。

 自然に立ち上がって彼を見下ろす形になってはいたが、足は地についてはいない感覚で、僕を射竦める様な彼の視線に金縛りになっていた。
「彼女とお前、お互い違う相手を夢見て抱き合っていたんだろ、違うか? ……言えよ、聞きたい」

彼は僕の心を見透かしているかの様な事を平気で言う。彼の問いに答える事は僕にとって心の束縛から自由になれることを意味している。
しかし、しかしだ、本当にそれでいいのか?
僕の今まで築き上げた(それがたとえ砂上の楼閣だとしてもだ)ものを失ってもか?
彼に話すのか……?。
「……君に謝らなくてはいけない。僕は君を、り……」

「謝る?何に対してだ?下司な冗談にか? 笑わせるなよ、俺は答えを聞きたいだけだ。好きな奴がいるのなら、そう言ってくれ。だけど、……俺は、諦めるつもりはない。男として見るんじゃなくて、俺自身を見てくれ。俺のこと、どう思ってる?」
彼の最後の言葉は、自信に溢れていた彼の言葉とは思えないぐらい弱々しく感じられた。業とらしく作り笑いを彼にしてみせ、落ち着いて言葉を選んでみた。不意に、伊織田が僕の首を掴み、自分の方に引き寄せ僕の手首を握った。
「そんなこ……」
「彼女のことじゃない、他にいるのか? ……琳が好きなのか?」
琳の名前が伊織田の口から出た途端、僕は過剰に反応した。
「彼の事は関係ない!」

一瞬、二人とも凍りついたようにその場に固まってしまった。
しかし、彼は直ぐに自分を取り戻し、烈火のごとく怒りを露にし怒鳴った。
「最初にお前を好きになったのは、俺だ!」
「……真留!」
伊織田の左手が妙に固く感じられ、彼の緊張に似た感情が僕の首に伝わってきた。
 どれくらいの時間、僕と伊織田の間に流れたのだろうか? 時間はまるで流れていない様に止まったままだった。
 伊織田に何かを言おうとしたが、言えなくて結局でたのは涙だった。(卑怯だな、泣くなんて)頭の角で、もう一人の自分が『お前は誰の前で泣いている』と言い、『そして何の為に泣く?』と囁きかける。何方の自分にも同化することが出来ずに人形の様にじっとしたまま、伊織田の顔が目前に来るのを眺めていた。

 抗えないような大きな力が僕に働きかけ、彼のなすがままにしていた。
彼の怒りの前では僕の抗う力などは微々たるもだ。
首の付け根の大きな手は先程感じた緊張感はなく、腫物でも扱うように優しかった。
僕はこの優しさが欲しかったのだろうか?
 そう思うと伊織田を突き放すどころか、迎え入れるように彼の唇に触れた。暖かな唇は、引きつった僕の唇にふれ、そこにあるのを舌で確かめながら、ゆっくりとした動作で僕をなぞり、押し入ってきた。
 恍惚とした感情が、下のほうから突き上げてくる様な感覚に捕われ、頭の中が徐々に白く塗り替えられようとしていた。
 そんな掴み所のない感覚の中で、伊織田の手が僕の背中をなぞり、尻の方へ移動して、太股の内側へ手が移動してきたと感じた時、『違う!?』と、心が叫んだ。
僕はその心の声に弾かれたように、重なり合っていた彼の躯を押しやった。
伊織田は、驚きと不安が混ざり合った表情をしていたが、先程とは打って変わった優しい慈愛に満ちた顔を僕に向けた。

「……ごめん、嫌だった?」
「いや、違う……違うんだ」
「……違う、っか。俺じゃないって事?」
「わからない……答えを探そうとするんだけど、僕には選ぶことが、で……」
 又、伊織田は僕を強引に引き寄せ、キスをした。
「もう、いい、いいんだ。無理に選び出さなくていい。……今まで待ったんだ、なのに俺が急ぎすぎたんだ。……俺はお前を受け止めるだけの器量は備えてるつもりだ。今、俺と誰かを選べなんて言わない。しかし、考えてみてくれ、それだけの余地はあるだろう?」
彼は僕より遙に大人だった。

 そう言って差し出された手に、視線をおとしたが、僕には彼の手を取ることは許されない様な気がした。
「……僕自身が追いつめられて苦しいと思うのは、誰の責任でもないんだ。今までの自分が引き起こした曖昧さによるものだから。君が僕の事を思ってくれるのはすごく嬉しい。……僕みたいなものでも本気で好きになってくれる人がいたんだから……有り難う」
「……馬鹿、お前は自分の事を知らなさ過ぎるよ。他人の事なんか気にするな、お前はお前なんだから」
 伊織田の表情は明るかった。
「俺はお前のように悩まない事にしたんだ、もっと他のことで悩まなきゃならないから。けど、俺がお前を好きだっていう事実は変わらない。今もそう思ってるし、これからもだ。……もっと、こう……ロマンティックな場所で告白しょうと思っていたんだけどなぁ。修羅場になっちまったな」
「くっくっくっ……」
 僕は何時もと変わらない伊織田がむしょうに嬉しかった。何事にも気負わない彼が素晴らしかった。きっと、悩みもあるし、泣きたい事だってあるだろう、それら全てを受け入れて前を向いている彼が眩しかった。
 伊織田だけではなく、僕の知っている人全てがそうであるように。

「おもしろい? 笑いすぎじゃない? 特別おもしろい事は、言ってねぇと思うけどねぇ、ねぇってば……」
「うん、言ってない。言ってないけど、そのロマンティックってのは、今の君には遙に遠い物に思うけどなぁ……くっくっく」
「あぁ、格好で差別しやがるのか? ……そういう奴には、今度はタキシードを着て、ナナハンに股がって、バラの花持って迎えに行ってやるからな!」

「あぁ、期待してる。その時の為に、白のドレスを用意しとくよ」
「ぬかせ!」
 何も起こらなかった様に時が流れて行く。誰もいない公園に、風が吹き、乾いた空気を巻き込みながら砂が舞い上がる。どこかあるのか分からないが、微かに聞こえる音楽が、この街にもまだ、人がいることを教えてくれているようだ。

「……“交際”の返事、急がないから考えといてくれ。一年でも二年でも……だって、初めて会った日から今まで待ったんだから。気は長い方だから。……俺もそれまでは……」 
「……僕に答えが出せると思う? 一生、君に返事をしないかもしれないよ。それでもいいの?」
「あぁ、構わない。でも、お前なら出せるさ。……俺が好きになった人だから……」
 大柄な躰が小さく見える程背中を丸め、真赤に染まった頬が優しい微笑みを称えている。 
僕は可愛らしい一面を見せる彼を目を細めて見ていた。
「なぁ、変なこと聞くけど、キスは初めてじゃないよな?」
「……変なことだな、初めてじゃないけど、初めてみたいなもんだよ」

僕は恥ずかしい事をおもいっきり、ストレートに聞いてくる彼を怒鳴ってやろうと思ったが、余りにも自然に聞いてくるので、素直に返事をしてしまっていた。
「って、どう言うこと?」
「……女は経験済み。けど、男は……初めてだよ」
 僕は真赤に染まっているであろう顔を背けながら言った。
「えっ、嘘?! ほんと?……うれし〜いぃ、ぜぇ……」
僕は彼の反応に驚いてしまって、開いた口が塞がらないまま、彼を見つめた。
「……じゃぁ、もしかしたらぁ、あっちのほうもぅかなぁ〜?」
「……あっちって?」

伊織田のニヤニヤ笑いはもう止まらなくなっていて、僕を下から上へと嫌らしい眼で見回した。
僕は彼のニヤニヤ笑いの原因がやっと分かり“スケべ伊織田”の顔を軽く殴りつけてから言った。
「絵の具、買いに行くぞ!」
「いってぇぇ……おい、なに怒ってんだぁ、ちょっと想像しただけじゃんか。
俺が最初のお・と・こ、だよなぁ。へっへっへっ……」
「うるさいな! スケベ伊織田!」
「あっ! 待てよ、そんな急ぐなよ。おい、ちょっと待て!」
 先程より、更に真赤になってしまった顔を隠すようにして歩き、画材店へ急いだ。

伊織田は僕に追いつこうと駆け足で、やってきた。僕達は歩調を合わせるように歩いていたが、ふと、伊織田の視線を感じて見上げてみると、彼はずらしたサングラス越しに優しい眼でこちらを見つめていた。
「……急ぐなよ、ゆっくり歩こう。本当は、手をつなぎたい気分だ」彼が耳元で囁いた。
「かんべんしてよ、……人が沢山いるよ」
伊織田の柔らかい微笑みが青い空によく映えた。

伊織田は、画材店に入ると勝手に店の中を徘徊し始めた。店の中はペンティングオイルの独特の匂いがして、安堵感が生まれた。
僕は油絵の絵の具を買うために、店の左奥の棚の前に行き、ルフランの絵の具を見た。棚の中の絵の具は美しい色ばかりだった。
僕はそれらをしばらく眺めながら、おもむろに必要な青色と白の大型チューブを取り出した。

僕は、つい、一人で来ているときと同じ様に行動していたので、伊織田の存在を忘れかけていた。その時、静かな店内に雪崩のような大きな音がしたので、ビックリして、音のする方へ、駆け寄った。
「あっれっ? ごめん、ごめん。いやぁ〜、ちょっと、触ったらおっこっちゃってっさぁ……」
伊織田はそう僕に喋りながら、床に散らばった、プラッチックの水入れを拾い、もとの棚に並べていた。
「しょうがないなぁ、余計なところ、触っちゃだめだよ。それでなくても、そそっかしいのに」
僕も彼の横に座り込み、同じように拾い、並べた。
「るっせぇ〜」彼は不満の残る返事を返してきたが、手の動きが止まっていた。
「まさるぅ、手ぇとまってる、ったく」
『僕が落としたんじゃないのに』とか、ブツブツと文句を言って拾っていると、頬に何かがあたった。
「?」
僕はほっぺたにあたった柔らかい感触に驚いて、頬に手を当てたまま、彼を振り返ってみた。
「いただきぃ〜、すっげ〜ぇかわいいじゃん。えへへへへ……」
『冗談だろ?』僕は心の中で叫びながら、彼を睨んでいた。

「あぁ、どうぞ、そのままで……こちらでしますから……」知らない声が、僕の背後から聞こえた。
振り向くと店の店員らしき年配の男性が、穏和な微笑みをたたえて、立っていた。
「す、すみません。今、片づけますから」僕は、慌ててそう言った。
伊織田がおこした行動に動揺しつつ、僕は途中で登場してきた店員に焦っていた。今の伊織田の行動を、見られたのではないかという不安からだ。当の伊織田は、何もなかった様に、相変わらずボケッとした惚けた表情をして、ニヤニヤ笑っていた。
僕はそんな伊織田にイライラしながら、「片づけろよ!」と言いながら、チョップで彼の頭を殴った。
「あっ、暴力はんたぁ〜い」
伊織田は笑いながらプラスチックの水入れを拾っていた。店員が去った後、僕は伊織田の耳元へ囁いた。
「人がいるだろ?! ふざけるなよ」
「二回も、三回も同じだろ。ベロチューした仲じゃない?」
「……同じじゃない!」 
「同じだよ!」
『ったく、同じじゃないよ。どうしてそう短絡的なんだ?』僕は心の中で呟きながら、そこそこ片づいた床を後にして、先程の店員がいるレジカウンターへ向かった。

 支払いを済ませると、未だ店内でウロウロしている伊織田に声をかけて、店を後にした。
「真留!いい加減にしろ、人がいる時には慎めよ」
僕は彼の袖口を引っ張りながら、注意を促した。しかし、彼は『意に介せず』と言った感じで僕の言葉を聞き流している様だった。
「……これから、どこ行く? 映画見ようか?」
ため息を大きくつきながら言った。
「僕の話し、聞こえた?それとも、デートの予定を構築中で、何も考えられない? 考えられないんだったら、帰るよ」

「ちょっと、ふざけただけじゃんか、そんな事で目くじら立てるなよ。……超えてしまった一線は、以外と楽だった。超えちまうとね、案外こんなもんかっていう感じだったな」
「……僕にも超えろ、と?」
「いいや、これは俺の体験談。密は密なりの道がある。……少し、嬉しかったのさ、密の傍にいることが、やっと、近くにいることが実感できた感じだから……」
「……真留、君は『待ってくれる』って言ったよね?僕に答えが出せるまでって言ったけど、後悔はしてない?」
「後悔?」不思議そうな伊織田の顔は、青ざめているように思えた。
「してない、これっぽっちも」

「僕は、君に答えを出せると約束してしまった事に後悔している。……答えを、見つけて君に伝える勇気がないからだ。それに、必ずしも君にとって、いい答えとは限らないかもしれない。そうなった時に、君はどうするんだい?  僕の返事を待っているうちに君は……お爺さんになってしまうかも……自惚れた話しだけど」
僕は失笑し、彼に問いかけた。

「一人で待つ、待たないは俺の勝手だ。そんな事に責任を感じてくれなくていい。……口では、一人だと言っても生理的欲求の捌け口は他にあるかもしれないし、そんなことは俺の自由だ。ただ、俺は知りたいんだ、お前の心が……そして、いつだって、俺が側にいたい。他の誰かではなく、俺自身がお前の側にいたい」
切ないという感情が、僕の中に波のように押し寄せてきた。
『出せるのか、答えが』それとも、出したふりをして、逃げ出すのか? 僕の優柔不断さは、回りのものに迷惑と混迷をまき散らし、更なる深みにはめようと画策しているのか?
 自分でも気付き出した心の内側を、認めるのが恐い、そして、その事を他人に知られる事の方がもっと、恐ろしい。

「……解かっちゃいるようで、解かっちゃいないんだ、俺自身。お前の答えは、聞かなくても初めから決まっているだろう……だけど、一分の望みを賭けてみたいんだ、今まで築き上げた、お前の中に存在する俺を」 
伊織田の言葉は僕に重くのしかかった。
来るべき場所ではなかったし、彼を誘ってしまったことは、僕の取り替えしのつかない愚かな行為だった。
曖昧な笑いを彼に向け、僕達は歩き続けた。

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